2014年03月28日

GUIDE DES MYGALES(タランチュラガイド)

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どんな世界にも人気者と嫌われ者というのがおります。
そら!あなたの会社にもいるでしょ?
奥さんとお子さんがいるにも関わらず、社内の誰子と不倫しているけどいつもかっこいい課長や、おしゃれなネクタイをしているんだけどちょっと間が抜けていてかわいい部下のA君、かたや脂っこくてネチネチして、いつでも暗い目つきでアタシを見つめてくるあの陰湿な部長とか、取引先の変なオヤジ、なんだかわかんないけどいるだけでムカつく奴…続々と現れるゲジゲジみたいなオヤジたちッ!
なんでうちの会社にはいい男がいないのかしらッ!
もー気味が悪いったらありゃしない!こうなったら今夜はコンビニ弁当ドカ喰いよーッ!
なんてことはよくある話で、こういう人は会社を変えてもまず問題は解決しません。
で、食事に行ってもこれはダメあれはマズイだの平気でいうようになり、口をついて出てくるのは下らないわがままばかり。次第に周囲の人も呆れて物を言わなくなり、それでもわがままを突き通した挙句、偏食のあまりビタミン不足で死にます。
まぁこうした人はさておき、みなさんお気づきのことと思いますが、私は嫌われ者にもやはり強烈な嫌われる何か分からないエネルギーというものがあるのではなかろうかと思うわけです。
不思議なことにそうした嫌われ者のタイプに、さしあたって嫌われるために嫌われているわけでもなく、結局嫌われる羽目になってしまった存在というのもあるわけですよね。
ある意味、それは魅力と言う奴で、その存在の持って生まれた特徴がたまたま周りに認知されなかっただけなのではないでしょうか。
そう考えますとあながち嫌われ者にも案外チャーミングな一面が顔をのぞかせることもあるわけなんですが、その考えの境地に行きつくまでには、そこはもともとわがままな我々人間のこと、単純に辛抱我慢ならんわけです。
嫌いなものは大嫌い。大好きなのはとことん大好きと言いたいところだが、そうは問屋が卸さない!
なんやかんや自分に言い訳をこしらえてロハで人生をより豊かなものにしようと企む浅はかさを私は見過ごすわけにはいきません!
ほれ!このブログをのほほんと読んでいるそこのYOU!
自分の手を汚しながら生きていこうぜ!
でも人に迷惑をかけない程度にね。

さて、人間主体で考えますと、好き嫌いだの美やら醜やら言いたい放題なんですが、自然界になると一筋縄ではいきません。
そもそもそんな垣根はとっくのとうにないからです。
生きる奴は生きっぱなし、死んでく奴は死にっぱなし。
今回ご紹介いたしますのはいよいよ出ました蜘蛛の本!しかも毒!
今までキノコやら毒蛇やらカビやら回虫やらほとんど嫌がらせに近い本ばかりを紹介してまいりました。我ながら慙愧に堪えません。
しかし、私なりのやり方で人の琴線に触れたいと思う欲望が我慢できないのが私の性にあっているとでも申しましょうか、いいえ、ただ単純に『世界はいつも非日常』だということを自らに訴えたいだけなのかもしれません。

本書はフランスのタランチュラ研究家ピエール・チューバンさんのタランチュラ・ガイドブックです。
MIGALEとはフランス語で蜘蛛の意。
主に中南米やメキシコのタランチュラについてきれいな写真付きで丁寧に紹介されております。宇宙から来たのではないかと思うくらいそのけむくじゃら加減がまたチャーミング、実に不思議な生き物がこの世の中にはいるものですね。
タランチュラの分解写真や、足を折りたたんでいる珍しい様子、捕食、交尾、産卵、そして餌のやり方や餌の種類(こっちの方が気持ち悪い)等々、タランチュラを飼育するにはうってつけの本です。
狙った獲物は決して逃がさないスパイダーマン、蜘蛛女、会社で明らかに嫌われている老若男女の皆さん、これ読んでもっと嫌われながらたくましく糸を吐き続け、大好きなアイツを絡めとって頭からガリガリ食っちゃえ!
正も生なら負も生のうち。有毒礼賛。
152ページ。270図版。オールカラー。仏語。

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posted by ことば at 12:11| いるだけで嫌な人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月23日

俺の顔 無意識への挑戦

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皆で女子会やら酒盛りなどで集まって、各々の自慢話や失敗談、怪談噺や世話物など、一通り話終わると、話す話があらかた出尽くします。まだ時間も時間だし、河岸を変えるにはちょっとまだ早いかなと気もそぞろになっているとき、間を取り持つ最も差し障りがないのはテレビの話題が適切かと存じます
早い話が、芸能人の中で誰が好みのタイプか、あるいは今、ノリにノッている芸能人の中で一番付き合ってみたい男や女は誰かなぞという犬も食わない話ではありますが、意外にこんな腐りきったお茶飲み話でも話題に花が咲くことがあるようです。
そんなどうしようもない話でも、じっと我慢して聞いておりますと、まず好みというものが決定される重要な要素に顔というのがあります。
身体の中心に有るわけでもないのに、この顔というのはやはり一番目が行くところ。
見ている眼もまた顔にありますので、本当に仕様のないものですね。

さて、あんたはどんなタイプが好きか言ってご覧と訊ねますと、出てくるわ出てくるわ。
てめえの顔の造作は押入れにしまっておきながらも、やれ、あいつの顔は鼻がひしゃげてるとか、顔が全部真ん中に集まってオノコロ島みたいだとか、そりゃもうさんざん好き勝手言った挙句に『やっぱり好きになった人が好きなタイプ』とかほざく始末。
こうなりゃこっちも聞き損で、『お前はよくもまぁそこまで人の顔について云々言えるもんだね!ところであんたは今、あることないこと喋くっていたときに、自分の顔がどんな顔をしていたか分かっておるのかね』と改めて訊ねなおしますと、『結構いい線いってると思う。あたしの顔は歌手の○○と牛乳のCMやってる○○を足して2で割った感じなのよん』と言いました。私の部屋にはテレビがありませんのでその歌手のなにがしも牛乳屋さんのなにがしもわかりませんが、彼女はどうやら自分の顔がかわいらしいと思っているようです。そしてその自惚れた彼女の顔をぼんやりとみている私の顔はというと、やはりいったいどういう顔をしておるのやらほとほとその全貌を捉えるのは困難だということに気が付いてぞっとしますと、勘定を彼女に押し付けたまま黙って店を出たのです。

街に一歩出た途端、あらゆる顔が溢れていて、どの顔もすべからく一様に顔が当然あるのです。無表情の人も中には歩いていましたけれども、それでもやっぱり頭部と顔がなければ表情もないわけで、これはこれでやっぱり顔です。
さぁ困りました。
眼と鼻と口と耳、どこに一体顔の重要な要素があって、いわゆる『THE・顔』なのでしょうか。
あるいは『BEST OF 顔』というものがあるとしたら…

眼は口ほどに物を言ったと思いきや、そのことで万事が目から鼻に抜け、すると開いた口が塞がらないので無理やり紐で括ってみたら口先三寸舌三寸。
意識が顔に現れていると思ってはみたものの、息つく暇なく顔にそう書いてあると指摘され、顔を赤らめ火が噴出。火を消すために泥も塗られて、顔を洗って出直しだ!
そりゃもう顔中大騒ぎで、体よりも忙しいのは顔なんじゃないかと思うくらい出物腫れ物所嫌わず、私の顔がそうなのか、顔の私がそうなのか、結局行きつくところが堂々巡りの藪知らず。

そもそも『私』というものは出処不明の顔がないようなものだと私は深く思うのです。
『私』を知る唯一の手がかりだと思っていた顔でさえ、じっと観察すればするほど、知れば知るほど日々刻々とその姿を変えていきます。
身体のあらゆる部分が顔を補い、時に顔そのものとして移ろいながらも現れる。
私たちが人を思い出すとき、その指の動き、声の震え、足元のおぼつかなさ、何気ない仕草のかずかず。
時に顔ではない何かが強烈に作用するのはなぜか。
その時、その人の顔はうすぼんやりとはしているが、決してぶれることがないその人そのものである。
思い出せないその顔は必ず顔ではない顔が覚えている。
そして私たちは今日も顔を洗うのだ。
新たに人と接することが出来るよう。
身体が覚えているあの人をどこかで思い出すために。
その瞬間、『俺の顔』は鮮やかに甦るだろう。


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2013年11月28日

LE PALAIS IDEAL DU FACTEUR CHEVAL Quand le songe devient la realite シュヴァルの理想宮 夢が現実になるとき

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みなさんおひさしぶり!
うっとうしい読書の秋もついに終わり、年越しの準備にお忙しい皆様におかれましてはいかがおすごしでしょうか?
年越しの前にクリスマスという耶蘇のお祭りがありますけれども、高校時代に盗んだバイクで駅前を走り回っていた皆さんにはあまり関係がないことかもしれませんね。
クリスマスと言えば、思い出されるのが家々の軒先に隣の迷惑顧みずデコレートされる非常にきれいなイルミネーションです。
クリスマスが近くなりますと町中が五芒星とかサンタ・クロース、橇を引いた猪鹿のLEDで照らされて、夜道を物色しながらほっつき歩いている空き巣や痴漢なんかも良心の呵責に耐えかねて、何もしていないのに出頭するらしいです。
ま、それはさておき、ああしたイルミネーションをこしらえようとするお父さん、まさかのクリスマス・フリークス、イルミネーション職人の方々の心血を注いだ想像力の結集たるや、私はこの季節に空を見上げるたびに首と目をおかしくして、ひどい気分なのに上を向いて歩いています。
本来ならば、そこでくだらないイルミネーションなんかどうだっていいのですが、やはり瞠目すべきは、どんなものであれ好きなものに対するそのエネルギーの注ぎ込みようです。
そうしたエネルギーというものが一体どこからやってくるのか、果たして明確に答えられる人はいるのでしょうか。
多くの人たちが突き詰めて考えると『好きだから好き、だからやれる』とおっしゃいますけれど、たいていそんなもんは当てにならんもんです。
だって、電池が切れるということを勘定にいれておらんもんだから『嫌いになったらすぐ嫌い』になっちゃう。
そんな気分で四六時中浮ついているから何もかもがうまくいかないのだよ。
まったく私たちは新種の馬鹿なんじゃないかと思いますね。
ほんとうに。
そしてその直接の動因となる好きなものというのも、これまたなぜ好きなのかわからない、とても不思議なもののようです。
例えば、親父の代から受け継いだ血がそうさせる饅頭好き、はるか太古より受け継いだDNAが胸騒ぎする饅頭好き、寛永元年にアンドロメダ星雲からやってきた宇宙人にさらわれて饅頭好きにさせられた饅頭好き、まぁ理由はなんだっていいんですけれど、ようく考えてみると好き嫌いなんざ、他人はもとより自分じゃ簡単に説明なんぞできないもんです。
私の場合は、人生は『スキスキ大嫌い』がモットーですかねっ!あしからず。

さて閑話休題。
久方ぶりの売れない本は、多くの人が持っていながらもてあましている第6感を搾り取るだけ絞り出し、あまり頼りにならない直観で己の道を進み続け、人生を直観の継続で生き抜いた一人の男の住まいの本。
著者は詩人にして狂気の銅版画家シャルル・メリヨンの研究者でもあるジャン・ピエール・ジューヴとアール・ブリュットの研究者、プレヴォス夫妻です。
この本の主人公はフランスの片田舎、オートリーヴに住む郵便配達夫のフェルディナン・シュヴァルというおじさん。
毎日行ったことも見たこともないところからやってくる手紙やエキゾチックな絵葉書を配達しているうちにユートピアへの憧れがどんどん膨らんでいったのです。
ある日道端に埋まっていた巨大な石につまづいてしまったのが運のつき。
掘り起こしてみたらばずいぶん奇妙な形をしていたものだから、家に持って帰って眺めておると次から次へとめどもない巨大建築物の妄想が彼の頭蓋を浸食し始め、翌日から頭の中はそればっかりでもう仕事も手につかないうわの空。
妄想だけならまだしも良かったのですが、毎晩家に帰れば啓示みたいな石に睨まれる。
次第に石の眺め方もぼんやりからギンギンに移行していき、テクニックは一切ないが異常なDIY精神が一人のおっさんのタガをとうとう外してしまったのでした。
そこからはもう大変。
頭の中の設計図を元にしてたった一人の孤独な建築作業が始まったのです。
シュヴァルのすごいところは、律儀にも仕事を放り出さずに配達が終わった晩からクラブ活動を始めるところでした。
はじめはシュヴァルの妄想を小馬鹿にしていた近所の連中も、妄想を転覆させようとしている中年男の熱の入れように魂を揺さぶられ、ノーギャラにも関わらずみんなで建築に携わるようになっていったのでした。
その間シュヴァルの身に様々な不幸が降りかかりましたが、建築を休むことはめったになかったそうです。
こうして月日は流れ20年。いろんなことがありました。
やっとその石で出来た変な宮殿は完成。
その名もシュヴァルの理想宮。
本書はそのワン・アンド・オンリーな奇怪建築を細部にわたって写真に収め、学術的と言ってもよいくらいに研究してある決定版。
シュヴァルの幼年時代や郵便配達時代、シュヴァルの自伝、石に書かれた文字の解読など、夢を読み解く野暮は承知でさまざまな角度から夢の建造物についての解析がなされています。
また、豊富な図版でシュヴァルの夢が徹底的に本気の現実だったということを知らしめてくれます。
多くの人たちがシュヴァルの類まれなる理想宮に賛辞をささげていますが、
己を継続させる、たったそれだけのことがなぜかくも困難であるかということを自分に当てはめると胸がしめつけられるような切なさを感じます。
狂気でもなく、正気でもない。
心と体の奔流に憧れる働きこそ、我々誰しもが持っている生の秘密。
そしてその動きは図らずも、己という夢の宮殿を彷徨うがごとくである。
360ページ。カラー・モノクロ。仏語。


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posted by ことば at 21:26| 夢見すぎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月10日

霊場恐山物語

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毎日大変暑い日が続いておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
これだけ毎日暑いとやはり夜の睡眠も簡単に眠りに陥ることかなわず、大汗をかきながら悪夢にうなされる方も多いのではないかと思います。
私もどちらかというと眠りは浅い方でおかげで四六時中夢をみているような生活をしておるのです。
私が子供の頃、あまりにもぼんやりしているので、心配した両親が近所の霊験あらたかなお寺に願掛けをしたところ、よけいに夢うつつの状態に陥り、今にいたっているというわけです。ありがたいことです。
私にとってはありがたい霊験を授かりましたが、一般に神社仏閣に参詣するというのは日本人とって非常に効果があるようで、みなさんたいてい旅先では必ず有名なお寺や、あんまり有名ではないお寺、お寺っぽい家とかにお参りします。
仏さんや神さんは毎日毎日、そういったみなさんの怠慢以外の何物でもない無理難題なお願いを話半分に聞いてくださっているわけで、本当にご苦労様だなぁなんて思うのです。
そんなある日のこと。
ま、神さんや仏さんはそれがお仕事ですからみんなのために今日も頑張っているのだろうなぁとそんなことを思いながら散歩しておりますと、普段見慣れている町の風景に一軒の異様なお寺が目の前にドカンとあるではありませんか。
その寺は門構えからしてもう何年も人が住んだことがないと思われるほどの荒れ放題。
普段この辺にはいない鴉が門の奥でものすごい鳴き声を上げています。
首を上げて扁額を見てみると『忍耐寺』の立派な文字。
私の異界レーダーがしきりに警告の二文字を発しているのですが、こんな重要文化財を見逃していたことは私のプライドにかかわります。早速訪ねてみることにしました。
なぁに、いくら荒廃しているお寺とはいえ、人を救う場所に変わりはありません。
それでもドキドキしながら門をくぐりますと、中からムンとすさまじい卵の腐ったような臭いが鼻をついてきました。
『これは…もしや硫黄?』
私はかつて訪れたことのある、私の心のふるさと恐山のことが脳裏に浮かびました。
ですがここは柴又、そんな異様な場所があるわけがありません。
ふと『映画 男はこわいよ』というタイトルが頭の中を駆け巡りました。
『そのまさかじゃよ!』
鼻をひくつかせあたりを窺っているといると背後から突然声をかけられました。
私は思わず叫び声をあげました。
『ぎゃーッ!』
その人物はちょうど寒山拾得を足して2で割ったような気味の悪いおじいさんで、髪と髭は真っ白の伸び放題、ぼろぼろの袈裟を身にまとって、右手にゆでたまごを3つ持っていました。
『そんなに驚かんでもよい。忍耐寺へようこそ』
『あなたは?』
『当寺の住職、忍耐和尚である』
『そんな安直な』
『なんか言ったか』
『いえ、こっちのことです。お構いなく』
忍耐和尚は私の姿をねめまわすような目つきで眺めていました。
1分ほど向かい合っての沈黙が続いたのち、私は我慢できずにこう切り出しました。
『なんか付いてますか?』
『大いに憑いとるね』
『おかしいなぁ、朝剃ってきたばかりなんですけど』
『そういうのじゃない。貴殿は忍耐がちと足りないようじゃ。これでも食え』
とそういって和尚は右手に持っていたゆで卵を私に差し出しました。
汚いからあんまり食べたくなかったのですが、和尚の好意をむげにはできず、受け取ってみるとこれが灼熱の玉かと思えるほど熱い。
『あちィ』と言いながら頬張るとさらに熱く、口の中の皮がベロンと向けるのを感じました。
目に涙を浮かべながらお礼を言うと、忍耐和尚はにっこりと笑い、『貴殿、せっかく来たのじゃ。湯に入っていけ』というではありませんか。
『いえ、お気持ちだけで結構です』
『汗で体がベタベタになっとる。気持ちが良いから入っていけ。そらこっちじゃ』
ものすごい力で庭の方へ連れて行かれると寺の境内に小さな池がありました。
まさかここが風呂なんて言い出すんじゃねぇだろうなぁと忍耐和尚の顔を見ると、和尚は『血の池地獄じゃー!』といいながらものすごい力で私を軽々と抱え上げると、その池にトポンと投げ込んだのです。
またその池の水が水ではなく、ほとんど熱湯だったのです。
池の底も風呂と呼べないくらいに深く、なぜこの深さでこんなに熱いのか全く理解できません。
私は思わず和尚に向かって怒鳴りつけました。
『何しやがんだ、ジジイ!死んじゃうじゃねぇか!』
『ははははは!』
笑いながら忍耐和尚は持っていた卵を投げつけてきたのですが、その卵が今度は鋼鉄のように固いのです。
『いてッ!やめろこの野郎!』
『貴殿は忍耐が足らん!まじめに仕事せい!この穀つぶしめが!』
そういいながら和尚が投げつけた卵の一つが私の顔に当たり、私は気を失いました。

目が覚めると、私は仕事場のパソコンの前に突っ伏して眠っていたのでした。
まぁ、早い話が仕事をさぼって眠りこけたら仏さんに夢で怒られたってそれだけの話。
とっぴんぱらりのぷう。

みなさんも熱中症にならないよう、出先から戻ったら十分に水分と塩分をとって、10分程度の休息は欠かさずに。


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posted by ことば at 18:48| HORROR MOUNTAIN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月08日

図説 陸前のオシラサマ

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私が小さい頃、友だちと呼べるものが一人もおりませんでしたので、食べ物を相手に遊んでおりました。
今考えれば相当罰当たりなことをやっておりましたが、そのバチがこの年になってこの程度で済んでいることを幸いと思い、過去の罪業を洗いざらい皆さんにうちあけたいと思います。
今宵もまた、しばらくのあいだ私のつまらない話にお付き合いください。

あれは、遡ること30年前、父親が小さい私たちのために浅草の人形焼を買ってきた日のことでした。
子どもというのはみんな甘いものが大好物で、かくいう私もいまだ甘いものが大好物なのです。
その証拠に、かつて子どもだった私と、そして今も実際に子ども時代をのびのびと過ごしておる子どもを二人並べてテーブルの前に座らせ、大きなお饅頭を与えたとします。
私たちはあっという間にそれを平らげてしまいますが、その顔というのは不思議と二人とも同じ素敵な笑顔をほころばせるはずです。
その瞬間、私たちの中を流れる時間というものは全く流れていないような錯覚に捉われます。

ま、話を戻して、ともかく私の大好物が目の前にあることがそれはもう嬉しいのなんのって。
包装紙を丁寧に剥がし、小さな紙箱を開けますと、恵比寿様や大黒様のお顔がにこにこしながらこちらを眺めているではありませんか!
あんこに睨まれるというのは非常に気持ちがいいものです。
彼らは一様に私に向かってこう言っているように思えました。
『ほれ、そこの小さなひと、早く僕らを召しあがってちょうだいな!』
私は一番はじめに左上の隅にいた大黒様を二口で食べてしまいました。
すると隣にいた五重塔の人形焼がずいぶん物寂しそうに見えたので、箱から五重塔と恵比寿様を出すと、五重塔の先端に恵比寿様を乗せ、台所にある焼き鳥用の串でもって、その二つの人形焼を串刺しにしました。二つだけでは物足りず、弁天様もその下から貫きました。人形焼がおでんの様相を呈しはじめたのです。
しばらく自分の作ったオブジェにうっとりすると、何かひらめいたのでしょう、その呪物を持って表に飛び出して行ったのです。
私はなんだか、当時夢中になって挿絵だけ眺めていた(字があんまり読めなかったから)童話に出てくる魔法使いになったような気分で、その人形焼のスティックをぶんぶん振り回して馬鹿には見えない魔法を発動しまくっていました。
その魔法の呪具で気になる方角を指せば、なんらかの変化が起きたのです。
それは最早マジックそのものでした。
吠える犬はしゅんとなり、大人たちは可哀そうな目つきでこちらを眺め、浮浪者は物欲しそうな目つきで眺めました。
今考えると当たり前のことですが、当時の私はそれが魔術者の偉大な能力だと信じ切っていたのです。
大手を振って歩いていると、向こうから同級生の白田君がやってきました。
白田君は私のことをちょくちょくいじめてくるやつで、いつか一泡食らわせやりたいと常々思っていたところ、ここで会ったが100年目!
私は力いっぱいスティックを振りかざし、掛け声もろとも白田君めがけて魔法をかけてやりました。
『えい!』
するとどうです。
勢いがありすぎて人形焼は白田君の方へスポンスポンと飛んで行ってしまったのです!
かろうじて弁天様がさきっちょの方に残っているだけでした。
白田君は、彼の足もとに転がっている五重塔と恵比寿様を拾ってシャツで埃を払うと、一口でそれらをごくりと飲み下してしまいました。
『あっ!ぼくの神さま!』
目を真ん丸にしている私を尻目に、白田君は『おまえ、ばかじゃねぇの?』と捨て台詞を吐いて過ぎ去っていったのです。

そんな白田君ですが、風の噂によりますと目下、婚活中だそうです。
私の魔法は効いているみたいですね。
ざまぁねぇや、白田!

さて、本日の売れない本は古書ことばの真骨頂ですよ!
オシラサマとは、東北地方に伝わる2対一組の蚕の神さまです。
その容貌は30センチから40センチほどの桑の木の棒に馬の顔や男女の顔が彫ってあったり、棒そのものにオセンダクと呼ばれる衣装がきせてあります。
そして時折、外に出して遊ばせてあげないと予測不可能の事態が連発するという荒ぶる神。
青森県の下北半島のイタコと呼ばれるシャーマンがこの神とともに多くのことを占ったり鎮めたりします。岩手県の遠野地方では、古くから家の守り神、農業の神、お知らせの神とも言われ、人々に崇められてきました。
本書は宮城の陸前に伝わるご神体を豊富な図版で紹介しております。
そもそもオシラサマという言葉自体が忌詞なせいもあってか、頭部が見えておらず(開けると祟るため)、ゴセンダクに包まれて、ただの得体の知れないぼろ布のボール状になっているオシラサマははっきり言って気持ち悪いです。そうでなくとも普通にこわいです。
世界各国に呪物は山ほどありますが、ここまで国民性をあらわにした気味悪さは日本国内中、例を見ないのではないでしょうか。
未だにその全貌が謎に隠されたオシラサマの本。
そりゃそうだろう、だって神なんだから!
お部屋のちょっとしたアクセントにオシラサマがネットで買えないかなぁ、なんて大いなる勘違いをしでかしている貴方、これから夏に向けて『オシラサマー』というネーミングで大山当てたいとお考えの広告会社の企画営業の方、これ読んで頭冷やしてください。
 
                                 売れない度99%

posted by ことば at 19:27| 白い一日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月03日

marquis de Sade ANTHOLOGIE ILLUSTREE マルキ・ド・サドのイラスト・アンソロジー

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愛。
それははるか太古の時代から、いわゆる『ひとがた』が織りなす壮大な人生模様であります。
それは決して満たされることがない喉の渇きのようなもので、人はそれぞれこの得体の知れないエレメントを求めては挫折し、ゲットしてはその気になって油断して挫折、最終的にぼろぼろになってやっと手に入れたかと思ったら、全くの独りよがりで一生を通じて愛のフーリガンでしかなかったことに気づかされる、徒労と幸福が隣り合わせの影のようなものです。
あたしたちが愛を求めて酒場に入り浸ったり、ファッキンSNSで意味もなく顔のアイコンを一生懸命コレクトしたところで、愛はいつ手に入るのやら見当もつきません。
本当に待っててくれるのでしょうか、愛の野郎はよぅ。
ですが世界には例外という現象も多々起きます。
別に意図したわけでもなく、たまたま愛が手に入ってしまうことがあるようです。
『生活に必要なものはたいてい地面に落ちている』とさる私の知り合いのリサイクル業者が申しておりましたが、愛もまたご多分に漏れず、そういうことが確かにあるのです。

先日、私の古い友人の一人がどうやら目下、愛というものに包まれているということを風の便りに聞いたおかげで、私の中の嫉妬三姉妹『ねたみ』『そねみ』『ひがみ』が力を合わせてギャーギャーわめき始めているのを感じました。
羨ましくて悔しくてそれはそれは毎日が切なく、愛を探し求めてあちこちをふらふらしました。
定食屋に入ってウェイトレスに『サービスで愛ついていないんですか』と言ったり、薬局に行っては、咳き込みながら薬剤師に『愛が最近ひどくて』とのたまったり、カラオケに行ったら行ったで大塚愛を唄ったりしました。
知らないのに。

そんなある日のことです。
いつものように愛を探すため町をうろうろしていると、突然後ろから声をかけられました。
『あのー、もし』
振り返ってみると、年の頃は26,7のすらりとした綺麗な女性で、なにやら腰に両手をあてて妙な歩き方をして近寄ってくるではありませんか。
『はぁ、お呼びですか?』
彼女はポッと顔を赤らめるともじもじしながらこう言いました。
『あのー、そのー、実は…非常に言い出しにくいことなのですが…』
『まぁ、この際だから言っておしまいなさい。旅の恥はかき捨てと言うじゃござんせんか』
『そんじゃ言わしてもらいます。今、あたしの背中がかゆくてかゆくてしかたないんですが、あたしは昔からかゆいところに手が届かない病気にかかっておりまして、今日はたまたま家に孫の手を置き忘れてしまったのです』
『そりゃまた難儀ですね』
『はい。ですから、ちょっとあなたのお手を拝借して背中を掻いていただけないかと』
『いいんですか?私の手は女性の背中を掻くほどデリケートにはできておりませんよ』
『強いくらいがいいのです。とにかく一刻も、はっ早く…こ、このかゆみを止めてくださいッ』
『いやですよ』
『え』
『だって、簡単に掻いたらあなたは満足ですが、私はどうなるんですか』
『そんなー、後生ですからお願いします』
『だめ』
『そこをなんとか』
『じゃぁ』
『ありがとうございます!ここここッ。ここです!』
私は掻くというよりも撫ぜるようにして彼女の背中を触りました。
なぜなら私にとっては愛というものは優しく接するものだからです。
『ひ』
『いかがなされましたか?』
『余計かゆいですッ。もっと強く掻いてくださいッ!』
『優しく掻いたらだめですか?』
『痛いくらいにやってくださいっ』
『はぁ』
『あの!』
『はい?』
『あたしのこと、好きでしょ?』
『あなたが掻いてって頼むもんだから掻いてんでしょ!そんな気なんてないですよ』

私がこう反論すると
振り返りざま彼女はニヤリと笑って言いました。

『ねぇ、あんた、その嘘ほんと? 愛ってこういうことなのよ』

そう言ってから彼女は自分の腕をぐるりと回して爪を立てて背中に張り付いている私の手をつかむと、力を込めて引き落としました。



さて、柄にもないお色気話で幕を開けました本日の売れない本は、フランスの思想家にして快楽の求道者、元気すぎて病院に収監されちゃったハイパーアクティヴィスト、サド侯爵の図録です。
みなさんもご存じのとおり、サドさんはサディズムの語源となった人で、いわゆる鞭打ちとか言葉責めとか、エロ本とかエッチな動画に必ずあるようなゴムっぽい感じの元祖のような人です。
日本にも団鬼六さんとか沼正三さんといったマーベラスな方々がたくさんおりますが、
本書はそのサド側におけるサドっぽい図版がまんべんなくちりばめられております。
サドの肖像画、サドが出てくる漫画、サド映画、サド絵画、サド写真、サドの住んでる佐渡島、サドが好んで牢獄で嗜んだ茶道の数々、などなど。後者は冗談といたしましても、あらゆるエロティックな表現にサドがからんでいるかと思うとサドの表現者としての偉大さを感じます。
男女間のお茶飲み話で『ドエス』とか『ドエム』とかわめいているど素人をよく耳にしますが、本家本元のサドさんやマゾッホさんは頭の中が青天井でどこまでもどこまでもこんなことばっかり四六時中考えていたのかと思うと、私なんぞはリスペクトしますが、結構いいやつだったんのじゃないかなぁ、なんて思うのです。
女の人はたまったものじゃないですよね。
何を考えているかわからないからこそ、人間は怖くて浅はかで面白いのだと思うのです。
違いを違いと認識しながら、なおかつ承認し続けること。
偉大な思想家は常にサドだろうがマゾだろうが底知れない人間愛がなければなりません。
サドだけが特別ではなく、私たちは誰しも孤独な特別者なのです。
そして人間が大嫌いで大好きな私たちもまた、人間を求めてやまないところはやはり同じです。
なぜなら、みんな必死で愛に手を伸ばそうとしている営みだけは変わらないから。
                伊・英語。モノクロ・カラー。157ページ。


                           売れない度86%

posted by ことば at 11:33| 打って打たれて打たれて打って | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月01日

大東亜共栄圏 毒蛇解説

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子供の頃といいますと誰しも何かしら差支えのあることなぞをしでかすものです。
例えば、近所の塀に落書きをしたり、親の財布から金をちょろまかしたり、金閣寺に×を×けたり、知り合いの素敵な×××を×××して、それこそもう足腰が立たないくらいに××××して、警察沙汰になりそうなところをバイト先のおじさんの政治力で揉み消そうとしたら、金閣寺が×して余計×××××になっちゃった途端、部屋に隠しておいたシンナーが見つかって××になっちゃったこともあったけど、今は落ち着いて古本屋になっているというような、そんなような人生の請求書みたいなことが誰しもあるようです。

振り返ってみますと、いわばその人の毒のような部分というのは大人になるにつれて、絶妙なブレンドで苦味とでも言いましょうか、色気とでも申しましょうか、ある程度こなれてきて薬のような妙味を醸し出しているような気がします。これがいわゆる大人の魅力というやつなのではあるまいか。

毒と薬、私たち人間ははるか昔からこの二つの不思議な力によって生かされたり殺されたりしております。
薬には飲み過ぎると毒になる一方、毒によって私たちは人生をより生き生きとさせることがあります。ちょっと苦みばしった男、毒のあるような男のほうが意外と女性にもてたりするのかもしれません。
『毒男』なんて言葉ははやりっこありゃしませんが、我々男性陣からすると『いい人』なんて言われるよりかは、『ちょっとあの人ワルよねぇ』なんて言われる方がかっこいい気がするもんですな。
方や女性なんてのは噂になるくらいの悪というか刺がないといけません。
女性は見目麗しゅう、というよりも振り向かせるくらいの毒気があったほうが、あたしたち男なんてものは、いわばゴキブリみたいなもんですけれども、寄ってたかって、たかって寄って、蹴散らしたはいいが老後はおひとり様、なんてことがないようにせにゃなりません。
命短し恋せよ乙女ですな。男女ともども謙虚と毒気、これです!
何?モテなけりゃ意味がない?
そりゃそうだが、そんなこたぁ私のせいじゃない。

まるで今回は猛毒礼賛とでも言わんばかりですが、それでも昨今の健康志向は私にとってはどうも納得が参りません。
そこで今回の売れない本は今年の干支にちなみまして、蛇の本を取り扱ってみたいと思います。
蛇と申しましてもこれだけ毒毒言ってんですから毒蛇に決まっております。
地球上に生存する命の内、無害なものは何一つありゃしません。
みーんなそれぞれ人様、動物様、地球様に多大なるご迷惑をおかけして、のこのことのさばっているわけです。
生きるってのは迷惑をかけ続ける営みです。
ときどき愛があるときもありますけれども、そんなもんはすぐどっかへ行っちまいます。

さて能書きはこれくらいにして、毒蛇と一口に申しましても世界中におるわけです。
私たち人間はなんでもかんでもとりあえず口ん中に物を入れたがりですから、落っこっているものを食べりゃお腹を壊すけど、お腹いっぱいになるとか、お腹いっぱいにならないけれども元気になった、という基準でしか毒と薬の区別がつかなかったのではないでしょうか。
毒のある生き物や植物もその例に漏れず、噛まれて死んだ、噛まれて痛い、噛まれて苦しい、噛まれて気持ちいい、などといった4種類くらいの分別でもって毒の成分やら何やらを発見したのでしょう。
生き物に毒があるのは当たり前です。
本書が刊行されたのは昭和19年。戦争真っ最中の頃です。
著者の大島先生は陸軍医学校の嘱託理学博士で、兵士がこのまま行軍中に蛇に噛まれて死ぬようなことがあればいけないとの理由から本書を著したものであります。
戦闘地に毒蛇がうじゃうじゃいる南の国が多かったこともあったでしょうが、このボリュームを見てみると、大島先生が単純に毒蛇好きだったのではないかしらん?
235種類のスネークどもが和名、学名、産地別にかわいらしいひらがなで紹介されているとなんとも毒など持っていないのではないかと思ってしまいますが、それでもれっきとした一人前の毒持ち。
私の大好きなマムシやてんぐへびなどもきちんと抑えているあたりは流石です。
巳年生まれで毒のある大人になりたい紳士淑女にぴったりのヘビーな一冊!

売れない度0%

posted by ことば at 14:02| 蛇・ローテーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月19日

津軽のおがさまたち

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あなたのご趣味は何ですか?と尋ねられて、スムーズに答えられる人はどれくらいおられるでしょうか?
よく趣味の欄に『お酒』とか『インターネット』とか『スポーツ観戦』とか書く人がいますが、私から言わせればそんなの趣味じゃありません。
酒はただただひたすら飲むもんです。趣味の次元じゃありません。
その証拠に飲みすぎは自慢にならないからです。だらしのない動物のレッテルを貼られるだけです。
私も貼られています。だから酒は趣味とみなしません。
インターネットもダメです。あれもただ瞳孔が著しく大きくなったり小さくなったりするだけです。
頭に入りません。やりすぎているとひたすら馬鹿まっしぐらに進化しているようなそんな気がします。
そして『スポーツ観戦』ですが、これはまぁいいんじゃないでしょうか。
つまり私が言いたいのは趣味ではなく、憑依してしまう、というくらいの熱中さに自分自身のモチベーションを上げることが可能か、という人間の可能性についての問題なのです。
今夜はいつものような石子の話から少し趣向を変えて、皆さんをいまだ出会ったことがない知らない世界にご案内しようと思います。

先日、私はいささかの用事がありまして、あるうら寂しい港町へと赴きました。
仮にAとでもしておきましょうか。
私がなぜそこへと行くことになったのか、やはりそれは強烈な呪力に引き寄せられたからに相違ありません。出発する数日前から、台所で洗い物をしているときや、洗濯物を干している時、自分の身長を測ろうと思って柱に傷をつけている時でさえ、どこからともなく『死んだらお山さえぐんだで!』『このどんころくそまぐれ!』という呪文のような声が私の耳元にダイレクトに届いてくるのでした。
私は怖くなってきちゃったので、矢も縦もたまらず今回取材に同行してくれるTに相談しようと、都内の喫茶店で落ち合うことにしました。
一通りの話をしますと、黙って聞いていた彼は真剣な眼差しでこうぼそりとつぶやいたのです。
『ことばさん…実は俺もあるんですよ…こんな変な手紙がうちのポストに入っていたんです…』
そしてボロボロの茶封筒に入った手紙を私に差し出したのでした。
『見てもいい?』
彼は静かに頷きました。
周りはうるさいくらいの喫茶店だったのですが、一切の音が聞こえなくなり、お互いの唾を飲み込むゴクリという音だけが鮮明に聞こえました。
震える手で手紙を開くと、たった一行だけ儚げな鉛筆の薄い文字がありました。
そこにはこう書かれていたのです。

『きみはアタシに愛に恋 あずさ』

私はTに訪ねました。
『なにこれ』
『いやー、心当たりがないんですよねー。飲んだのは覚えているんですけれど』
『こりゃ、あれか?君がゆうべ飲んだ店か?』
『はい。『あいにこい』って店なんですけれど。この手紙の意味がどうもよくわからなくて。ことばさんなら屋号も屋号だしこの暗号がわかるんじゃないかと思って』
『これはあなた、そのまんまの意味ですよ。もはや』

さて、私たち人間はもはや本能が完全に壊れている動物ですから、何をしでかしてしまうか、まったく予想がつきません。
自分という字は『自ずから分かれる』と書いてあるので、もうすでにどこを探しても私というものは決して合体することはないのかもしれません。
んだばて、そうは言っても誰しも思いを馳せたことがあるず。
『あーあ、世が世ならあたしゃもうちょっと面白い人生を歩んでいるはずなんだがねェ』
嘆かない嘆かない。
大丈夫。みんなそんなもんですから。
だって、死んだら一人残らずお山さえぐんだでッ!

売れない度 4(死)%
posted by ことば at 19:54| 口寄せて雪国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月21日

蛔虫

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石子は今日もモヤモヤしていた。夕べもそうだったし、一昨日もそう。
ここのところずっとモヤモヤしっぱなしだった。気候のせいかもしれないとも思ったが、翌日がいい天気でもモヤモヤしていたから、原因は天気ではないことは確かだ。
では何が石子をかくもモヤモヤさせるのであろうか。
先日、喫茶店で読んだ女性週刊誌によると、現代人の8割が何らかの原因でモヤモヤしているそうである。
例えば、人の名前が一向に覚えられないといった極めて常識的な問題や、人から聞いた話を端から忘れたり、居酒屋で酔っ払った振りをして同じ食べ物を沢山注文したり、もう食べられないと言いながら、同じ食べ物を沢山注文して全部ひとりで平らげたり、とにかく同じ食べ物を注文したり、夫婦関係や、職場でのセクハラ、モラハラ、パワハラといったなんでもかんでもハラスメントで済まそうとやっきになって、居酒屋で同じ食べ物を四つも五つも注文する人々により、あたしたち現代人はそりゃもう、息も絶え絶えの生活をしているのです。
もしかしたら石子もまたモヤモヤしているというより、腹の虫が治まらないといったほうがいいのであろうか。
どうしたらお腹の虫は静まってくれるのだろうか。
虫下しを飲めば治まるかというとそんなことないと私は思う。
石子の中にはいくつもの虫がいて、癇の虫やふさぎの虫、泣き虫と弱虫、ついでに酒虫もいる。
ほとんど悪い虫に寄生されているおかげで、顔つきも虫みたいな顔になってしまっているのであった。
モヤモヤが一ヶ月も続いた頃であったろうか。
突如、石子のDNAは虫化を遂げたのである。
昆虫のような強力な顎や甲羅があるわけでもないので、昼間は暗いジメジメしたところを飛んだり跳ねたりして、スイカの食べ残しがあればちゅうちゅう吸い上げ、網を振り回して虫取りをしている子供らがおれば、同朋を助けるために髪を振り乱して躍りかかり、近所のPTAから要注意人物とみなされたりした。
夜は夜で完全な夜行性となり、天敵のカマドウマやクツワムシをバリバリ食べて栄養をとった。すると、今度は腹の中の酒虫が疼きはじめ、夜な夜な酒場に闖入しては酒樽に頭を突っ込んで飲み干してしまうのが常だった。
ときどき無銭飲食で警察に連行されては留置場で虫から虎に変身したが、翌朝になるとまた泣き虫に戻ってはぴぃぴぃ泣いてひたすら謝った。
そんな毎日を繰り返しているうちに、虫たちは違う宿主を見つけたのか次第に石子から去っていったようであった。
腹の疼きが一向にやってこないのを石子は嬉しく思うと同時に寂しく思った。
石子は彼女自身の虫たちに徐々に愛情を感じ始めていたところだったのだ。
なんという堕落の始まり!
彼女は住み慣れた公園のトチの木を見上げながらこう独り言を言った。
『あぁ、あれだけ虫人間は嫌だって思っていたのにも関わらず、今更寂しいだなんて…虫のいい話ってこのことよね。やっぱりあたしは女という虫なのかしら。ふっふっふ』
ところが、ある朝、石子が目覚めてみると自分が一匹の巨大なカマドウマに変身していた。
もう逃げ場がない!

バチが当たったのだ。

売れない度 64%


posted by ことば at 11:54| 虫人間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月05日

人生ゲーム入門

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午後6時の時点で売上が480円。一マス進む。
夕飯の時刻になったが冷蔵庫に何も入っていない。二マス戻る。
コンビニで煙草を買う。売上が残り40円。一マス進む。
お腹を壊す。一回休み。
友人に金を無心するため電話をかける。一マス進む。
煙草代440円借りる。売上が元に戻った錯覚に陥り、予備の煙草を買う。残り40円。一マス進む。
表を出歩く。一マス進む。
外人に道を聞かれる。一マス進む。
嘘の道を教える。三マス進む。
自分より若い警察官に職務質問を受ける。三マス戻る。
お腹を壊す。一回休み。
駅前の広場に出る。一マス進む。
100円拾う。残金140円。一マス進む。
マックに行く。三マス進む。
アップルパイを頼む。残り40円。一マス進む。
煙草を喫む。一マス進む。
時間が自分の中で充満してくるような気がしてくる。ヒッグス粒子の実在を確信する。一マス進む。
お腹を壊す。一回休み。
トイレが流れない。一回休み。
台所とトイレが共通にならないか、究極のエコについてどこまで考えられるか考える。四マス戻る。
ほったらかしにして出る。四マス進む。
家に戻る。スタートに戻る。
お湯を沸かす。一マス進む。
コーヒーを飲む。二マス進む。
植木に水をやる。三マス進む。
ミントが育って来たので、もいでそのまま食べる。一マス進む。
お腹を壊す。一回休み。
洗濯をする。一マス進む。
小指を突き指をする。一マス戻る。
反動でその隣の薬指がばね指になる。一マス戻る。
歯を磨く。一マス進む。
柔軟体操のつもりで布団の上ででんぐり返しをする。一マス進む。
首をひねる。一マス戻る。
反動でばね指が治る。一マス進む。
首が曲がったまま就寝。一マス進む。
インドネシアの奥地で青い綺麗な蝶を捕まえる夢を見る。一マス進む。

その蝶の名前はオオルリアゲハ。学名はパピリオ・ユリシーズ。
人生は進みながら戻り、戻りながら進む。止まりながらにして戻り、止まりながらにして進む。
常の地点はいずこにも存在しない不思議な歩み方をするようです。
前後ありといへども、前後裁断せり。

売れない度 97%

posted by ことば at 16:41| 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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