1人か2人ならいざ知らず、3人や4人になるとちょっとした集まりです。
その集まりがどうやら同じ物を眺めていると知ったとき、私たちもまた彼らが見ているものは何なのか、気になって仕方がなくなることがあります。
駅前や公園などを歩いておりますと、時折こうした光景に出くわすことがあります。
彼らの視線の先には何があるのか、人だかりをかき分けるか、あるいは隙間から覗いたりして様子をうかがうしか方法はありません。
そのようなもどかしい気持ちを解消するため『ちょっと私にも見せて下さい』とかなんとか言いながら間を割って見たものの、あれだけ期待に胸を膨らませた『何か』が急速にしぼんでいくこともよくあること。
そしてため息と共にこう言います。
『なんだ、ただの酔っぱらいか』
では、逆に問いましょう。
私たちが胸膨らませていた『何か』とは何だったのか。
そのヒントとなるのが今回の売れない本。世界各国の酔っぱらい、もとい世界の風俗、観光地を隈なく紹介する、その名も『世界のショー』。この号ではハワイ・香港・東南アジアの美女とか踊りとか仏さんとか赤線地帯を紹介しています。昭和39年の刊なので記事内容は見るもの全部珍しい感でいっぱいですが、空飛ぶ鉄の塊に乗り、1万円である程度のところなら行ける味気のない我々現代人にとっちゃぁ、大して面白くありません。
なるほど、ショーとして世界を見たときには必ずしも面白いものとは限りません。
そりゃ、味気ないものだってあるでしょう。
でも見たこともない酔っぱらいだったら心ときめく驚きがそこには拡がります。
さて、私たちが何かを『見る』とき、視点を変えれば、見られる側もまた私達を見ていることになります。
例え見る対象が人間や動物でなくとも、です。
私たちがあるものを見て心を打つのは、自分がその対象を見ていながらも、同時に相手からも睨まれていると感じたとき、心のうちに、見えている対象物ではない『あるもの』を垣間見るからなのではないでしょうか。目に見えているはずなのに、さらに見えるもの。
黒山の人だかりを前にして感じる『何か』、そして人だかりに会う以前の散歩の光景、さらに時間は遡り、朝の寝起きに顔をしかめるその瞬間、私たちは『何か』を常に相照らし合いながら日常を送っているのです。
さぁ、私たちは何を見て喜び、悲しみ、感動しているのでしょうか。
世界のショーは今『ここ』に。
売れない度 0%
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